interview

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モロカイ島からオアフ島へ向かうロングパドルボードレースに挑戦する
青木 将展さんと西山 俊さん
2017/07/29

Mabo and Shun’s challenge for The Molokai 2 Oahu Paddleboard World Championships

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常夏の楽園、ハワイ————。

そこで開催される島渡りのパドルボードレースに、2人のライフセーバーがエントリーしている。

湯河原LSCに所属する青木将展さんと西山俊さんだ。

モロカイ島からオアフ島へ向かう32マイル(約52キロ)の挑戦。

出発直前の2人に話しを聞いた。

文・写真=LSweb編集室




波高3m。太平洋の荒波を越えるレース

——なぜ「モロカイ・ツー・オアフ・パドルボード世界選手権大会(The Molokai 2 Oahu Paddleboard World Championships、以下M2O)に出ようと思ったのですか?


LSweb西山 俊:今年で21回目となるモロカイレースは、ロングパドルの世界ではとても有名で、いつかは出たいと漠然と思っていました。でもM2Oはある程度の実績があって、大会主催者が許可した選手しか出場できないんです。
 僕たちは2年前にメキシコで開催された、ISA(国際サーフィン連盟)主催のパドルボード世界大会でディスタンスレースに出場した経験があったので、その実績が薄れないうちにとエントリーしました。ダメだったらまた来年と思っていたら許可がおりて、嬉しい誤算です。

青木 将展:スタートはハワイ時間7月30日の朝7時30分(日本時間7月31日午前2時30分)。モロカイ島西岸のカウアコイからカイウィ海峡(別名モロカイ海峡)を横断し、オアフ島のマウナルアベイビーチを目指します。直線距離で32マイル(約52キロ)。
 僕たちは一つのボードを2人で交代に漕ぎながらゴールを目指す、男子パドルボードのチーム種目に出場します。一応、30分から1時間交代で漕ぐ予定で、完漕目標タイムは5時間半です。
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——M2Oはどんなレースになりそうですか?


LSweb西山:う〜ん、正直言って52キロ通しで漕いだことがないので……分からないです。あと、伴走艇に乗っている時の船酔いが不安です。

青木:ロングレースはメンタルの比重が大きいと思います。特に今回は島から島へのワンウエイでゴールが見えません。伴走艇はつきますが、カイウィ海峡の真ん中あたりは波高が3mになることもあるらしいので、大海原の中で一人ポツンと漕いでいて、本当にゴールできるのか? そんな怖さとの戦いもあると思います。

西山:ただ2人のペアなので、少し心強いです。

——メキシコ大会の時も2人でしたね。


LSweb西山:付き合っているわけじゃないですよ(笑)。

青木:でも彼と一緒だからやってみようか、と言う気持ちになることは事実です。なんというか、彼は今、ライフセーバーとして、またアスリートとしてがんばっています。それを応援したいという気持ちです。

西山:マーボーさんは僕より3つ上で、いつもいろいろなことを教えてもらってばかりです。でも僕が大学生になって湯河原LSCに入った時は、マーボーさんは柏崎在住。当時の印象は「お盆が過ぎると来てガードに入る人、しかも水上バイクばかり乗っていて楽そうだな」というものでした(笑)。

LSを発展させるために、違う世界に出る

——ライフセーバーである2人が、ライフセービングの枠だけにとらわれずに活動するのはなぜですか?


LSweb青木:ライフセービングを、もっと一般的な言葉に落とし込みたいと思っているからです。つまり、水辺の安全だとかビーチのルール作りだとか言っても、ライフセーバーが社会で認められていなければ、率先して動くことなどできません。
 いくら言葉でライフセービングと言っても、実力がなければ何をいっても薄っぺらいですよね。こうしたレースに出れば、ライフセーバー以外の人とも知り合えます。ライフセーバーしかいないライフセービングの大会だけではなく、ほかのマリンスポーツ界の人にもライフセーバーの力を知ってもらい、認めてもらうことが、ライフセービングの発展に繋がる一つの方法だと思っています。

西山:僕も同じで、できるだけ多くの人にライフセービングやライフセーバーを知ってもらいたいんです。
 大きな挑戦をすることで、共感や応援してくれる人が増えると思ってがんばっています。同時に、自分たちの中だけで終わらせるのではなく、きちんと次に繋げていけるようにするつもりです。

LSweb青木:僕たちは決してスーパースターではありません。でもだから、僕らの周りで“自分も挑戦してみよう”と思ってくれるライフセーバーが出てきて、活動の幅が広がればいいなと思います。
 ライフセービングしかやらないと、いつか行き詰まってしまうかもしれません。就職した途端にぱったり辞めてしまうなんて、もったいないですよね。

西山:僕はようやくマルチな活動を始めたところですが、昨年、ISAパドルボード世界選手権に出場した落合慶二さん、小林海、伊藤真央から「パイオニア」だと言われてちょっと嬉しかったです。
 活動の幅を広げることで人間としての技量や考え方が広がり、ライフセーバーとしての価値も高まるのではないかと思っています。もちろん、やっていて楽しいから挑戦するのですが。

——最後に、大会への意気込みを聞かせてください。


LSweb西山:競技なので出るからにはカテゴリー優勝を狙います。参加するだけではなく、結果を残したいです。
青木:現実的な数字を言えば、3位に入ることが目標です。潮の流れや風向など不確定要素はありますが、エントリーリストを見る限り3位に入る力はあるし、そこを死守しないとダメだと思っています。
 1990年代に「ニュートリグレインシリーズ」に挑戦した飯沼誠司さんや佐藤文机子さんがレスキューアスリートの先駆けだとするならば、湯河原LSCの2人はさしずめライフセービングスポーツの中興の祖というとことだろうか。
 日の丸を背負って大海原に挑む2人にエールを贈りたい。

    
 
The Molokai 2 Oahu Paddleboard World Championship

大会公式HP

LSwebレーススタート後は、大会公式HPで5分毎に最新情報が更新される予定。

青木選手と西山選手は、M2Oチャレンジ用に制作したTシャツ販売中だ。2人を応援したい人はぜひFacebookページをチェックしてみよう。

青木 将展Facebookページ
西山 俊Facebookページ

 
    





スポーツDJ 山本ゆうじ対談 〜ライフセーバーの素顔に迫る〜
第5回 和田賢一さん Part2
2015/10/09

Up Close to the Personal of Lifesaver Vol.5

第5回後半
式根島ライフセービングクラブ 和田賢一さん


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 スポーツDJ 山本ゆうじさんと、式根島ライフセービングクラブに所属する和田賢一さんの対談もいよいよ佳境に。

 オーストラリアではビーチフラッグス界の巨星、サイモン・ハリスさんとの絆を築き、ジャマイカでは世界的スターのウサイン・ボルトさんと親しく交流するなど、さまざまな出会いを経て一歩一歩、着実に夢に向かって歩みを進めている。

 その時々のエピソード、そして将来に向けた大きな夢を、ご本人の言葉で語ってもらった。


文・写真&動画=LSweb編集室





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【プロフィール】
和田賢一(わだ・けんいち)

式根島ライフセービングクラブ所属


 高校までは野球一筋だったが、野球での挫折を経験したことから、さまざまなスポーツに挑戦するように。日本大学在学中からスポーツトレーナーとして働きはじめ、そのまま就職。2014年、ライフセービングに集中するため退職し、その後、オーストラリア、ジャマイカへ留学した。2015年はヨーロッパへも遠征し、2016年の全豪選手権に向けたトレーニングを続けている。1987年、東京生まれ。


【主な戦歴】
2009年 神奈川オープン 優勝
2010年 全日本選手権 2位
2012年 全日本種目別選手権 優勝
2013年 全豪選手権 8位
    神奈川オープン 優勝
    全日本種目別選手権 3位
    全日本選手権 2位
2014年 クィーンズランド州選手権 優勝
    全豪選手権 準優勝
    全日本種目別選手権 優勝
    世界選手権Rescue2014 6位
    全日本選手権 優勝
2015年 ヨーロッパ選手権 優勝


ライフセーバー対談
山本ゆうじ×和田賢一 その5




留学したオーストラリアで、全豪選手権のビーチフラッグス種目を10度制覇しているサイモン・ハリスさんから、直接、アドバイスを得ることができた。そのアドバイスとは……?

ライフセーバー対談
山本ゆうじ×和田賢一 その6




全豪選手権のビーチフラッグス種目で準優勝の成績を収めたものの、新たな課題を見つけ単身、ジャマイカへ渡ることに。その目的は、人類最速のウサイン・ボルトさんと一緒に練習することだった!

ライフセーバー対談
山本ゆうじ×和田賢一 その7




ウサイン・ボルトさんたちと一緒にトレーニングを積んだ3カ月で、速く走るためのテクニックを学ぶことができた。見知らぬ土地で黙々と練習するワケは? そしてその先にある夢とは?

ライフセーバー対談
山本ゆうじ×和田賢一 その8(最終回)




ジャマイカ滞在中は、なんとウサイン・ボルトさんの家にも招待された。知られざるボルト像など、ジャマイカ話はまだまだ続く。聞いているこちらまで元気になるような、ガッツあふれる話をどうぞ。



山本ゆうじ(やまもと・ゆうじ)
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劇団「ひまわり」などを経て役者となり、のちにDJとなる。1989年からスポーツの会場実況と音楽を組み合わせたスポーツDJスタイルを考案、現在に至る。スポーツDJキャリア26年。ライフセービング競技会だけでなく、東京マラソン、ビーチバレー、サッカーJリーグ、バレーボールW杯、オープンウオータースイム、フットサル、ビーチサッカーなど、幅広いスポーツの盛り上げに貢献している。

趣味は毎週練習を欠かさないビーチバレー。ミュージシャンとしても活躍しており、オリジナルソングも多数ある。1960年、東京生まれ。





スポーツDJ 山本ゆうじ対談 〜ライフセーバーの素顔に迫る〜
第5回 和田賢一さん Part1
2015/10/08

Up Close to the Personal of Lifesaver Vol.5

第5回前半
式根島ライフセービングクラブ 和田賢一さん


wada01 スポーツDJ 山本ゆうじさんが、ライフセーバーたちの素顔に迫る対談シリーズが2年ぶりに復活! 通算5人目となる今回のゲストは、ビーチフラッグスで世界一を目指す和田賢一さんにご登場いただいた。

 2014年に全日本ライフセービング種目別選手権大会、全日本ライフセービング選手権大会で二冠を達成した和田さんは、大学4年生の時にライフセービングと出会い、いきなり“ビーチフラッグスで世界一になる!”と決意した。「誰かの真似をしていてもその人は超えられない、つまり世界一にはなれない」という理念から、独自に研究と努力を重ね、ライフセーバーにはお馴染みのオーストラリア修行はもちろん、走力強化のために、ウサイン・ボルト選手が所属するジャマイカのクラブに留学した経験も持つ。

 全豪選手権のビーチフラッグス競技で優勝するために、自分なりのビーチフラッグス道を探求している “ワダケン”こと和田賢一さんに、ライフセービングとの出会いから将来の夢まで、お話しを聞いた。

文・写真&動画=LSweb編集室




wada2014種目別wada2014種目別2【プロフィール】
和田賢一(わだ・けんいち)

式根島ライフセービングクラブ所属


 高校までは野球一筋だったが、野球での挫折を経験したことから、さまざまなスポーツに挑戦するように。日本大学在学中からスポーツトレーナーとして働きはじめ、そのまま就職。2014年、ライフセービングに集中するため退職し、その後、オーストラリア、ジャマイカへ留学した。2015年はヨーロッパへも遠征し、2016年の全豪選手権に向けたトレーニングを続けている。1987年、東京生まれ。

【主な戦歴】
2009年 神奈川オープン 優勝
2010年 全日本選手権 2位
2012年 全日本種目別選手権 優勝
2013年 全豪選手権 8位
    神奈川オープン 優勝
    全日本種目別選手権 3位
    全日本選手権 2位
2014年 クィーンズランド州選手権 優勝
    全豪選手権 準優勝
    全日本種目別選手権 優勝
    世界選手権Rescue2014 6位
    全日本選手権 優勝
2015年 ヨーロッパ選手権 優勝


ライフセーバー対談
山本ゆうじ×和田賢一 その1




まずは、ライフセーバー・和田賢一の原点ともいうべき、ライフセービングとの出会いについて。それは大学4年のときだった。

ライフセーバー対談
山本ゆうじ×和田賢一 その2




続いて、ビーチフラッグスで“世界一になる”と決めたその過程を聞いた。「そんなに簡単なことじゃないよ」と友だちは言ったけれど……。

ライフセーバー対談
山本ゆうじ×和田賢一 その3




2009年、初めて出場した競技会「神奈川オープン(神奈川県ライフセービング連盟主催)」で、現役最強の植木将人選手と出会う。

ライフセーバー対談
山本ゆうじ×和田賢一 その4




世界一になるために、人まねではないスタートを研究し続けた結果、スタート直後に無重力状態を作り出せばいいとわかったのだが……。



山本ゆうじ(やまもと・ゆうじ)
LSweb
劇団「ひまわり」などを経て役者となり、のちにDJとなる。1989年からスポーツの会場実況と音楽を組み合わせたスポーツDJスタイルを考案、現在に至る。スポーツDJキャリア26年。ライフセービング競技会だけでなく、東京マラソン、ビーチバレー、サッカーJリーグ、バレーボールW杯、オープンウオータースイム、フットサル、ビーチサッカーなど、幅広いスポーツの盛り上げに貢献している。

趣味は毎週練習を欠かさないビーチバレー。ミュージシャンとしても活躍しており、オリジナルソングも多数ある。1960年、東京生まれ。





スポーツDJ 山本ゆうじ対談 第4回 Part3
〜ライフセーバーの素顔に迫る〜
2013/07/19

Up close to the personal of Lifesavers Vol.4

第4回 後半
館山サーフクラブ 飯沼誠司さん


LSwebスポーツDJ 山本ゆうじさんと飯沼誠司さんの対談も今回が最後。

大学でライフセービングと出会った飯沼さん。
彼の人生を大きく変えるきかっけとなったのが、1997年に始まったプロのライフセービング競技大会「ワールド・オーシャンマン・シリーズ」だ。

世界中のライフセーバーの中から、たった30人しか出場できない大会に、日本代表として佐藤文机子さんと共に選ばれた飯沼さん。世界各地を転戦する過酷な大会を戦い抜いた経験と、各国のライフセーバーとの交流が、ライフセーバー・飯沼誠司の血肉なっていることは間違いない。

ライフセービング歴20年。飯沼さんが目指すライフセービングの未来形を、じっくり聞かせていただいた。

文・写真&動画=LSweb編集室





[プロフィール]
LSweb飯沼誠司(いいぬま・せいじ)
館山サーフクラブ所属

日本ライフセービング協会競技力強化委員
世田谷スイミングアカデミー総合監修

 1974年12月18日、東京都生まれ。東海大学体育学部卒業。持病のぜんそく克服のため3歳で水泳を始め、小学校でジュニアオリンピック、高校でインターハイに出場。東海大学進学後、ライフセービングと出会う。

 学生時代は神奈川県の二宮海水浴場でガードを行い、競技会でも頭角をあらわす。1997年、卒業と同時に日本人ライフセーバーとして初めてプロ契約を交わし、オーストラリアを主戦場とする「ワールド・オーシャンマン・シリーズ」に出場。ハワイアンインターナショナルや全米ライフガード選手権などでも入賞するなど、日本人ライフセーバーの存在感を見せつけた。

 1998〜2001年にかけて、全日本ライフセービング選手権大会でアイアンマンレース(オーシャンマンレース)5連覇を達成。2008年には7年ぶりに全日本タイトルを奪還した。世界大会には1998年、2000年、2010年の3回出場。キャプテンとして挑んだレスキュー2010では、SERCで銀メダルを、総合成績でも過去最高の8位を獲得した。同年、ライフセーバーオブ ザ イヤー(JLA主催)を受賞。また、昨年開催された世界大会、レスキュー2012では監督としてU19日本代表を4位に導いた。

 千葉県館山市スポーツ親善大使としても活躍中。奥様はタレントの中山エミリさん。
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★ライフセーバー対談
山本ゆうじ×飯沼誠司 その5




世界トップ30のライフセーバーが集結し、ライフセービングの普及のために開催された「World Oceanman Series Race」。飯沼さんは1997年、日本人初のプロ契約ライフセーバーとしてこの大会に出場した。

当時のレースの映像はこちら。エントリーリストには、そうそうたるメンバーの中に“Seiji.Iinuma JPN”の文字が光る。

*World Oceanman series Race Piha, New Zealand part1



*World Oceanman series Race Piha, New Zealand part2



*World Oceanman series Race Piha, New Zealand part3




★ライフセーバー対談
山本ゆうじ×飯沼誠司 その6




「日本人の観光客が一番溺れる」——、海外レースに出場した飯沼さんは、ライフセービング先進国の選手からこう言われたそうだ。ライフセーバーはやはり現場に立たなければ……。その思いから6年前に館山サーフクラブを立ち上げた。





山本ゆうじ(やまもと・ゆうじ)
http://www.sportsdj-yuji.com/

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1960年3月8日、東京生まれ。劇団「ひまわり」などを経て役者となり、のちにDJとなる。1989年からスポーツの会場実況と音楽を組み合わせたスポーツDJスタイルを考案、現在に至る。趣味は毎週練習を欠かさないビーチバレー。ミュージシャンとしても活躍しており、オリジナルソングも多数ある。

【山本ゆうじライブ情報】
●7月23日(火)
場所:荻窪チャーリーズスポット(20時〜)
URL:http://charlie194911.main.jp/

●7月25日(木)
場所:虎ノ門エンドレス(毎週木曜日定期公演)
URL:http://ameblo.jp/endless1996

●7月30日(火)
場所:新橋ZZ(19時30分〜)
URL:http://www.zzpad.com/





スポーツDJ 山本ゆうじ対談 第4回 Part2
〜ライフセーバーの素顔に迫る〜
2013/07/17

Up close to the personal of Lifesavers Vol.4

第4回中盤
館山サーフクラブ 飯沼誠司さん


LSwebスポーツDJ 山本ゆうじさんと飯沼誠司さんの対談も佳境に入ってきた。

大学進学後にライフセービングと出会い、熱意ある先輩たちに刺激されて活動にのめり込んでいった飯沼さん。
対談パート2では“ライフセーバー・飯沼誠司”誕生の秘話から、芸能界へと活動の場を広げていった過程について、芸能界事情にも詳しい山本さんに聞き出してもらった。

新米ライフセーバー時代のちょっとドジなエピソード、ドラマ出演時の裏話などなど、飯沼さんの魅力満載のパート2をお見逃しなく。
(山本ゆうじさん×飯沼誠司さんの対談はまだまだ続きます。乞うご期待ください!)

文・写真&動画=LSweb編集室




[プロフィール]
飯沼誠司(いいぬま・せいじ)
館山サーフクラブ所属

日本ライフセービング協会競技力強化委員
世田谷スイミングアカデミー総合監修

LSweb 1974年12月18日、東京都生まれ。東海大学体育学部卒業。持病のぜんそく克服のため3歳で水泳を始め、小学校でジュニアオリンピック、高校でインターハイに出場。東海大学進学後、ライフセービングと出会う。

 学生時代は神奈川県の二宮海水浴場でガードを行い、競技会でも頭角をあらわす。1997年、卒業と同時に日本人ライフセーバーとして初めてプロ契約を交わし、オーストラリアを主戦場とする「ワールド・オーシャンマンシリーズ」に出場。ハワイアンインターナショナルや全米ライフガード選手権でも入賞するなど、日本人ライフセーバーの存在感を見せつけた。

 1998〜2001年にかけて、全日本ライフセービング選手権大会でアイアンマンレース(オーシャンマンレース)5連覇を達成。2008年には7年ぶりに全日本タイトルを奪還した。世界大会には1998年、2000年、2010年の3回出場。キャプテンとして挑んだレスキュー2010では、SERCで銀メダルを、総合成績でも過去最高の8位を獲得した。同年、ライフセーバーオブザイヤー(JLA主催)を受賞。また、昨年開催された世界大会、レスキュー2012では監督としてU19日本代表を4位に導いた。

 千葉県館山市スポーツ親善大使としても活躍中。奥様はタレントの中山エミリさん。
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ライフセーバー対談
山本ゆうじ×飯沼誠司 その3




高校生まではガリガリのもやしっ子だったという飯沼さん。競泳選手として限界を感じたという彼は、ライフセービングと出会い、水を得た魚のように活き活きと輝き始めた。良きライバルとの出会いもあった学生時代の話をどうぞ。


ライフセーバー対談
山本ゆうじ×飯沼誠司 その4




4年間の大学生活を終え、JTBに就職した飯沼さん。そのころ、知り合いのつてでテレビ番組に出演することになった。それが芸能界へと進むきっかけとなり、その後、ライフセーバーが主人公のドラマにも出演したのだった……。



山本ゆうじ(やまもと・ゆうじ)
http://www.sportsdj-yuji.com/

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1960年3月8日、東京生まれ。劇団「ひまわり」などを経て役者となり、のちにDJとなる。1989年からスポーツの会場実況と音楽を組み合わせたスポーツDJスタイルを考案、現在に至る。趣味は毎週練習を欠かさないビーチバレー。ミュージシャンとしても活躍しており、オリジナルソングも多数ある。

【山本ゆうじライブ情報】
●7月23日(火)
場所:荻窪チャーリーズスポット(20時〜)
URL:http://charlie194911.main.jp/

●7月25日(木)
場所:虎ノ門エンドレス(毎週木曜日定期公演)
URL:http://ameblo.jp/endless1996

●7月30日(火)
場所:新橋ZZ(19時30分〜)
URL:http://www.zzpad.com/










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