interview

LSweb
スポーツDJ 山本ゆうじ対談 第4回Part1
〜ライフセーバーの素顔に迫る〜
2013/07/15

Up close to the personal of Lifesavers Vol.4

第4回前半
館山サーフクラブ 飯沼誠司さん


LSwebスポーツDJ 山本ゆうじさんが、ライフセーバーたちの素顔に迫る対談シリーズ。4回目のゲストはタレントとしても活躍する、日本で一番顔の知られたライフセーバー、飯沼誠司さんにご登場いただいた。

東海大学入学後にライフセービングと出会い、1990年代から常にライフセービング競技の第一線で活躍し続けてきた飯沼さん。
日本人ライフセーバーのプロ契約第一号として海外レースを転戦しながら、活動の幅をタレント・俳優業に拡大。
一方、2006年には仲間とともに館山サーフクラブを立ち上げ、夏季の海水浴場ガードから、海辺のイベントなど、水辺の安全に関わるさまざまな活動を行っている。

近年は日本ライフセービング協会の競技力強化委員として、また世田谷区スポーツ振興財団のスイミングアカデミー監修者として、若手の育成にも力を注いでいる飯沼さんと、ざっくばらんに語り合った様子を紹介しよう。

文・写真&動画=LSweb編集室





[プロフィール]
LSweb飯沼誠司(いいぬま・せいじ)
館山サーフクラブ所属

日本ライフセービング協会競技力強化委員
世田谷スイミングアカデミー総合監修

 1974年12月18日、東京都生まれ。東海大学体育学部卒業。持病のぜんそく克服のため3歳で水泳を始め、小学校でジュニアオリンピック、高校でインターハイに出場。東海大学進学後、ライフセービングと出会う。

 学生時代は神奈川県の二宮海水浴場でガードを行い、競技会でも頭角をあらわす。1997年、卒業と同時に日本人ライフセーバーとして初めてプロ契約を交わし、オーストラリアを主戦場とする「ワールド・オーシャンマンシリーズ」に出場。ハワイアンインターナショナルや全米ライフガード選手権でも入賞するなど、日本人ライフセーバーの存在感を見せつけた。

 1998〜2001年にかけて、全日本ライフセービング選手権大会でアイアンマンレース(オーシャンマンレース)5連覇を達成。2008年には7年ぶりに全日本タイトルを奪還した。世界大会には1998年、2000年、2010年の3回出場。キャプテンとして挑んだレスキュー2010では、SERCで銀メダルを、総合成績でも過去最高の8位を獲得した。同年、ライフセーバーオブザイヤー(JLA主催)を受賞。また、昨年開催された世界大会、レスキュー2012では監督としてU19日本代表を4位に導いた。

 千葉県館山市スポーツ親善大使としても活躍中。奥様はタレントの中山エミリさん。

LSwebLSweb


ライフセーバー対談
山本ゆうじ×飯沼誠司 その1




ライフセーバー、アスリート、指導者、そしてもちろんタレントとしても活躍する飯沼誠司さんに、今年から早稲田大学大学院でスポーツビジネスを学ぶ「学生」としての顔も加わった。まずはそのあたりから話を聞くことにしよう。


ライフセーバー対談
山本ゆうじ×飯沼誠司 その2




3歳のころから水泳を始めた飯沼誠司さん。今の姿からは想像できないが、元々はぜんそく持ちの虚弱体質だったそうだ。そんな幼少時代の逸話から、“モテ期”の高校時代、そして大学入学までの話しを伺った。


山本ゆうじ(やまもと・ゆうじ)
LSweb
1960年3月8日、東京生まれ。劇団「ひまわり」などを経て役者となり、のちにDJとなる。1989年からスポーツの会場実況と音楽を組み合わせたスポーツDJスタイルを考案、現在に至る。スポーツDJキャリア23年。ライフセービング競技会だけでなく、東京マラソン、ビーチバレー、サッカーJリーグ、バレーボールW杯、オープンウオータースイム、フットサル、ビーチサッカーなど、幅広いスポーツの盛り上げに貢献している。

趣味は毎週練習を欠かさないビーチバレー。ミュージシャンとしても活躍しており、オリジナルソングも多数ある。








年別アーカイブ