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伊豆のベテランライフセーバー 三人衆の挑戦!
熱川〜大島 パドルボード横断行 その3
2014/07/01

A2O (Atagawa to Oshima) Challenge Part 3

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平均年齢42歳。熱川LSCの井藤秀晃さん、下田LSCの江田邦明さん、宮部周作さんの3人が、競技用のスペックボード(マリブボード)で、伊豆半島東岸の熱川から伊豆大島を目指した「A2Oチャレンジ」。


5時間15分におよぶパドル漕で大島に渡ったベテランライフセーバーたちの挑戦を、江田邦明さんのレポートで締めくくってもらおう。




文=江田邦明(下田LSC)
写真=兵助丸&宮部周作





あの達成感が忘れられず…

 昨年に続いての挑戦——。

LSweb 2013年6月、長年温めていた伊豆半島から伊豆大島への、サーフスキーでの横断を達成した。下田の外浦から伊豆大島の元町までの単独往復漕航。
 挑戦直後は、この手のチャレンジはもう終わりと考えていたのに、日にちが経つにつれてボードでも挑戦したいと思いはじめる自分がいた。

 今回、なぜまた行きたいと思ったか分からない。ただ、サーフスキーの時の大きな達成感が、麻薬のように作用したのかもしれない。

 井藤さんがボードかスキーで、大島横断に挑戦したいということは、前々から聞いていた。
 ただ、昨年の自分のスキー単独横断の経験から、ボードでの単独横断は危険が大きいと思い、ボードで行くなら一緒に行かないかと相談した。

 そして2月から海一本の練習に切り替え、ウェットスーツも新調。この6月までの約半年間は、25年間のライフセーバー人生の中で、最も長くパドリングをした日々だった。

 その結果、練習当初は長時間のパドリングで膝の痛み、あごの擦れ、手のむくみなど異変があったものの、6月には体もすっかり慣れるまでになった。

伴走船を手配

 1回の練習時間は1時間から2時間で、主に出勤前の朝と、週末の朝夕で行った。一番長く漕いだ練習は、5月のゴールデンウイークに、外浦から熱川まで漕いだ4時間30分。
 この時は北東の風と潮の流れに逆らって漕ぐという、精神的にもタフな練習となった。

 その経験から、今回は伴走船をつけることにした。

 大島到着後のボード運搬にも問題があったものの、やはり一番の理由は、黒潮の分流が入れば2ノット以上の流れが生じ、到底ボードの推進力では抜けきることができないだろう、という判断からだ。

 また、熱川出発だと南西の風や潮流で、大島の北にある潮流帯へ流される危険もある。さらに大型船の航路を横切るため、大型船側のレーダーに映る伴走船の存在は重要だった。
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 情報収集は昨年のスキー横断時と同様に、気象庁、海上保安庁、横浜ベイサイドマリーナが発表している天気情報(予報図、風、視界、雷、潮流情報など)で行った。

 当日はまたとない条件に恵まれ、視界は悪かったものの、大島上空にかかった雲を目印にできていた。天候も曇りで脱水のリスク減、風はゆるやかな南西と追い風または横風。

 6月のこの日を選んだ理由は、日が長いこと(仮に遭難しても日没まで時間がある)、小潮で潮の動きが少ないこと、航行時間がちょうど上げ潮の時間帯で北流を打ち消してくれること、という条件がそろったためだ。

 今回の挑戦は、3人の仲間と一緒に漕いだことで不安が打ち消せたこと、伴走船とサポートがついたことで、スキーの時のような精神的な負担はなかった。
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 リスク回避策としては、伴走船がつけば安心だが、少なくとも単独航行はしないこと。そして気象の判断、海峡の知識、さらにGPS、携帯電話、浮力体、コンパス、飲食料、海図、笛・発煙筒などの携行、目立つ服の着用があげられる。
 もちろん、挑戦に見合った練習や力量も必要となる。

 目標を持つことは、それを達成するまでの過程や、それに協力してくれる人の存在や出会いがあり、人を育ててくれる。

 挑戦を終えた今はまた漕ぎたいと感じており、またまた達成感の麻薬にやられてしまったようだ。
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 今回は井藤さん、宮部、兵助丸、藤井さん、都築さん、中園、鳥居工業のみなさん他にお世話になりました。
 大島での出会いや温泉、食事、景色も忘れられないものとなり、これもそれまでの過程があっての重みだと思います。









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