大学卒業後、アメリカのカリフォルニア州に留学した利根川莉奈さん。
現地では勉強だけでなくライフセービング交流も積極的に行い、今夏、アメリカで3つの競技会に出場した。
ユース時代に世界選手権のビーチフラッグス銀メダルを獲得した実力のある彼女だが、アメリカの大会ではいろいろ驚くことがあったようで……。
お国事情がよく分かる、米国ライフセービング体験記の後編をどうぞ!(LSweb編集室)
文・写真提供=利根川莉奈(成城学園LSC/今井浜SLSC)
アメリカンスタイルの大会にはオリジナル種目も
今夏、私はアメリカで3つのライフセービング大会に出場することができました。
7月には「カリフォルニア州大会」、8月には「インターナショナルサーフフェスティバル」と「全米選手権」です。
後編では大会を中心としたアメリカのライフセービング事情をご紹介したいと思います。
カリフォルニア州大会は、サンフランシスコ南部オレンジカウンティのハンティントンビーチ、インターナショナルサーフフェスティバルと全米選手権は、ロサンゼルス近郊のハモサビーチにて開催されました。
ハンティントンビーチはサーフィンのスポットとしても有名なビーチで、様々な海のイベントが頻繁に開催される場所ということもあり、周辺には多くのお店が立ち並び、観光地としても有名な海になっています。ハモサビーチは、そこに比べると静かな雰囲気で落ち着いたビーチです。
上記3つの大会のうち、少し特殊なのが「インターナショナルサーフフェスティバル」です。これは毎年この時期に3日間にわたり開催され、ライフセービングに限らず、ビーチバレーやボディサーフィン、パドルボードレースなど、いろいろな海に関するスポーツが行われます。
私は8月7日の「ライフガードチャンピオンシップ」に参加しました。この日は地元、ロサンゼルスカウンティによるレスキューデモ、ジュニアのタップリン、ビーチフラッグス、3マイルメドレーリレーが行われました。
競技の開始は夜の7時! これも午後9時頃まで明るいカリフォルニアだからできること。暗くなってからも照明を点け、充分な明るさの中で10時過ぎまで大会は開催されました。
ナイトレースというだけで日本には馴染みのない大会ですが、中でも3マイルメドレーリレーは日本にはないレースで、とても印象的でした。
これはアメリカ式の2人乗りボート“ドリーボート”を含んだレースで、スイム×4→ボード×4→ボート×4の順番で行われます。一度のレースでブイを12周することになるので非常に長時間のリレーですが、とても興味深いレースでした。
またボードのバトンパスが、ボードを縦に立てて渡す方式だったり、招集所では、どのチームが今何周目の何の競技が行っているか分かるようにしていたりと、どれもがとても印象的でした。
持久戦となったビーチフラッグス
競技会全体を通して感じた日本との大きな違いは、ドリーボートのようなアメリカオリジナルのレースがあることと、タイムテーブル、ビーチフラッグスのレースの進め方などでした。
ランスイムランや、ランドラインレスキューという、紐を使った独自のレスキューレースなどがありました。
タイムテーブルは、どの大会でも最初の競技の開始予定時刻と、競技の順番だけが載っている目安程度のものです。
私が知る限りオーストラリアやフランスでも同じようでした。
日本のように、事前にすべての時刻が表示されているのは珍しいことで、とても日本的であると感じました。
オンタイムでの進行するために運営の方々がいかに努力しているか、そのおかげで私たちが安心してアップができ、またレースの応援に行けるということを改めて感じました。
自分が出場したビーチフラッグスレースは、親しみのある競技だからこそ、運営方法の違いに驚きました。なんとアメリカでは、レースの一本一本の間にレストが与えられないのです!
例えば、予選で各ヒート準決勝出場人数まで絞るのに5レースが必要だとすると、その5レースはヒートを回さずに一気に行われます。
決勝に関しても、男女交互ではなくこちらの決勝人数である16人から最後の1人まで、1人ずつのエリミネーションで14レースが一気に行われます。
20mを走り、フラッグを取る、帰ってまた寝転がり、走る、その繰り返しで持久力も問われてくる競技でした。
これは私にとって、一本一本集中して細部に気をくばるという繊細なビーチフラッグスとは全く異なるものでした。
しかし皆で息を切らせながら、初めは穏やかに行われた会話もなくなってきて、時たま互いに励ましながら行うレースも、私にとってはとても新鮮で良い経験になりました。
ライフセービングの素晴らしさを再確認
アメリカの大会に出てみることにより、たくさんのことを学び、たくさんの人々と出会うことができました。
私個人のビーチフラッグス競技の結果は、カリフォルニア州大会で3位、インターナショナルサーフフェスティバルで2位、全米選手権は決勝まで進んだものの、国際選手へのルールがなく決勝の舞台でのレースはできませんでしたが、結果以上に多くのことを得ることができました。
語学を学びにアメリカに来ましたが、ライフセービングに携わっていたおかげで語学だけで終わらず、このような貴重な経験をし、自分の世界を広げることができたことを嬉しく思うと同時に、改めてライフセービングの良さを感じることができました。
ここでの出会いから、アメリカ代表U-19チームにコーチとして携わるご縁も頂き、そこでは日本のビーチフラッグスの技術を伝えることができました。
私が今まで沢山の先輩方から教えていただいたことを、アメリカの次世代の選手たちに伝えることができたことは、私にとってとても良い経験になりました。
自分が高校生の時にライフセービングを始め、多くの先生や先輩方にしていただいたことを、今自分が後輩たちやアメリカのユース世代にも伝えていくことで、ようやくお世話になった方々に少しずつ恩返しを始められたようにも感じます。
日本に帰ってからもまた、ここで学んだことや経験を伝えていくことで、自分ができる形でライフセービングに携わってこの経験を生かしていきたいです。